ヘッダー画像は、私のピアノ周り。
TPPで食の安全と医療は大丈夫なのか? ★考えてみよう!TPPのことhttp://www.think-tpp.jp/index.html
東北復興応援に取り組んでいます ★エスニック・キッチン制作東北応援CDと、OH!ジーンズ制作東北応援CDは、ともに目標の100枚を完売。売上金全額を復興義援金として寄付しました。 ◆エスニック・キッチン結成5周年記念 東北応援CD「音楽と語りで巡る武蔵国分寺のいまむかし」 ◆OH!ジーンズの東北応援CD ◆東北復興応援コンサート「多摩・東京アクション」~伝承音楽の宝庫・東北地方への敬意と、復興への祈りを込めて 原発再稼働に反対しています ◆みんなで決めよう「原発」国民投票 ◆さようなら原発10万人集会・ さようなら原発1000万人 アクション
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<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~7.かみつけの里博物館 [トピックス旅]
ようやく終わりに近づきました。
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼かみつけの里博物館の駐車場に降りると、道路の向こうは八幡塚古墳です。
▼かみつけの里博物館へと向かいます
▼展示室は撮影禁止なので、撮影してよいレプリカのみ。
常設展であり、展示物の内容からも、なぜ撮影禁止なのか理由がわかりませんが・・。
かみつけの里博物館のホームページ:
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/kamihaku/
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼かみつけの里博物館の駐車場に降りると、道路の向こうは八幡塚古墳です。
▼かみつけの里博物館へと向かいます
▼展示室は撮影禁止なので、撮影してよいレプリカのみ。
常設展であり、展示物の内容からも、なぜ撮影禁止なのか理由がわかりませんが・・。
かみつけの里博物館のホームページ:
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/kamihaku/
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~6.総社神社 [トピックス旅]
のろのろのレポートでございますが、上野国分寺ツアー、おしまいまでもう少しです。
総社神社(国府跡推定地)にも立ち寄りました。
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
かみつけの里博物館をたずねる前に、国府跡推定地の総社神社を見学。
▼総社神社入り口(駐車場から)
▼社殿の裏側に出ました。極彩色の壁画がきれいです。
▼立派な神楽殿がありました。
▼社殿正面から
▼石の鳥居としめ縄
▼作業小屋のようなところで、なにやら作業をしています。
▼茅の輪(ちのわ)を作っていました。夏越しの祓(なごしのはらえ)の準備です。
▼となりには、お神輿が格納されていました。
総社神社(国府跡推定地)にも立ち寄りました。
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→総社神社(国府跡推定地)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
かみつけの里博物館をたずねる前に、国府跡推定地の総社神社を見学。
▼総社神社入り口(駐車場から)
▼社殿の裏側に出ました。極彩色の壁画がきれいです。
▼立派な神楽殿がありました。
▼社殿正面から
▼石の鳥居としめ縄
▼作業小屋のようなところで、なにやら作業をしています。
▼茅の輪(ちのわ)を作っていました。夏越しの祓(なごしのはらえ)の準備です。
▼となりには、お神輿が格納されていました。
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~5.蛇穴山古墳(総社古墳群) [トピックス旅]
脚の打撲の件では、たくさんのお見舞いのお言葉、ありがとうございました。
おかげさまできょうは快方に向かっているようです。
医者通いしているうちに、上野国分寺めぐりのレポートがすっかり遅くなってしまいました。
遅ればせながら、続き、いきます。
---------------------------------------------------------
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼用水の素敵な風景を見ながら進みます。
▼小さな水門がありました。
▼蛇穴山古墳の入り口のそばに用水の説明看板がありました。
▼五千石用水というのだそうです。
▼蛇穴山古墳です。
▼加工された巨石が積まれています。石材加工技術の見事さに驚かされます。
▼玄室には石棺が。
▼蛇穴山古墳を後にして、次は総社神社。国府跡推定地です。
おかげさまできょうは快方に向かっているようです。
医者通いしているうちに、上野国分寺めぐりのレポートがすっかり遅くなってしまいました。
遅ればせながら、続き、いきます。
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コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼用水の素敵な風景を見ながら進みます。
▼小さな水門がありました。
▼蛇穴山古墳の入り口のそばに用水の説明看板がありました。
▼五千石用水というのだそうです。
▼蛇穴山古墳です。
▼加工された巨石が積まれています。石材加工技術の見事さに驚かされます。
▼玄室には石棺が。
▼蛇穴山古墳を後にして、次は総社神社。国府跡推定地です。
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~4.宝塔山古墳(総社古墳群) [トピックス旅]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社資料館をあとにして、徒歩で総社公民館の駐車場に戻り、宝塔山古墳へ。
駐車場から見える、このこんもりした小山が宝塔山古墳です。
一辺が50~60mくらい、高さ12m前後の方墳、作られたのは7世紀後半。国指定史跡だそうです。
▼北側の石段を昇りましたが、墳丘の上部は総社藩主秋元氏の墓地として江戸時代から利用されてきたとかで、こちらからは石室のほうへは行けません。
▼南側へまわるようにと看板に書いてありました。
▼南側にまわって石段をあがると、とつぜん、むき出しの石室の入り口が。天井部分の一枚の石の大きさに唖然。中に自由に入れるようです。
▼入り口の両側の石積みからして素晴らしく緻密。隙間なく緻密な上に、デザインとしても美しい!
▼入り口の前には、天井の石と同じような平たい巨石が地面に横たわっています。
▼中へ入ってみました。長方形の切石が隙間なくピシっと組まれています。
▼天井は一枚の石です。
▼奥は深くて、三つの部屋にわかれているようです。入り口から二番目の部屋には、白い漆喰が残っているのが確認できました。千三百五十年も前の漆喰です。
▼この奥にもうひとつ部屋があり、中は真っ暗。そこに石棺がすえられています。懐中電灯の光でかろうじて見えます。
▼石室の奥から入り口を見るとこんなかんじ。まさにタイムトンネルです!
▼みな、古代の切石積みの美しさにみとれながら、現代へと戻って行きました。
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社資料館をあとにして、徒歩で総社公民館の駐車場に戻り、宝塔山古墳へ。
駐車場から見える、このこんもりした小山が宝塔山古墳です。
一辺が50~60mくらい、高さ12m前後の方墳、作られたのは7世紀後半。国指定史跡だそうです。
▼北側の石段を昇りましたが、墳丘の上部は総社藩主秋元氏の墓地として江戸時代から利用されてきたとかで、こちらからは石室のほうへは行けません。
▼南側へまわるようにと看板に書いてありました。
▼南側にまわって石段をあがると、とつぜん、むき出しの石室の入り口が。天井部分の一枚の石の大きさに唖然。中に自由に入れるようです。
▼入り口の両側の石積みからして素晴らしく緻密。隙間なく緻密な上に、デザインとしても美しい!
▼入り口の前には、天井の石と同じような平たい巨石が地面に横たわっています。
▼中へ入ってみました。長方形の切石が隙間なくピシっと組まれています。
▼天井は一枚の石です。
▼奥は深くて、三つの部屋にわかれているようです。入り口から二番目の部屋には、白い漆喰が残っているのが確認できました。千三百五十年も前の漆喰です。
▼この奥にもうひとつ部屋があり、中は真っ暗。そこに石棺がすえられています。懐中電灯の光でかろうじて見えます。
▼石室の奥から入り口を見るとこんなかんじ。まさにタイムトンネルです!
▼みな、古代の切石積みの美しさにみとれながら、現代へと戻って行きました。
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~3.総社資料館 [トピックス旅]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社公民館の駐車場でバスを降りると、見える範囲に二つのこんもりした小山が。
これが蛇穴山(じゃけつやま)古墳。
▼そしてこちらが、宝塔山(ほうとうざん)古墳。
先に総社資料館で昼食をとって、そのあとで蛇穴山古墳と宝塔山古墳も見学しますが、すばらしい石室にびっくり仰天でした。
▼用水沿いの道を進んで用水を渡ると総社(そうじゃ)資料館。
▼入り口に素敵な絵地図がありました。
▼資料館は本間酒店の酒蔵を利用して整備した施設です。
▼松尾芭蕉の歌碑。今日ばかり人も年寄れ初時雨
▼左が西倉、右が北蔵。
▼西倉には総社地区の古い民具が展示されています。
▼北蔵。立派な酒蔵です。
▼その東側にも立派な母屋が。
▼雨がすっかりあがったので、外でお弁当です。
▼北蔵の内部を見学します。
▼すごい梁です。
▼二階もあります。
▼昔ながらの酒造りの工程を書いた絵が展示されていました。
▼正面の大きな展示物は
▼地形がわかる立体地図です。これはすごい!
▼上野国府の市想像図
▼地図の展示物
▼市内の古墳についての展示物
▼これから見学する宝塔山古墳の石棺のレプリカが展示してありました。レプリカで見るとあんまりピンときませんが、現地で見ると・・・。
▼埴輪のレプリカ
▼刀剣
▼石製の鴟尾(しび)のレプリカ
▼山王廃寺イメージ
▼古地図資料
▼伝承芸能~太太神楽
▼獅子舞
▼百万遍念仏
▼太太神楽
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
前橋市教育委員会のパンフレットより
▼総社公民館の駐車場でバスを降りると、見える範囲に二つのこんもりした小山が。
これが蛇穴山(じゃけつやま)古墳。
▼そしてこちらが、宝塔山(ほうとうざん)古墳。
先に総社資料館で昼食をとって、そのあとで蛇穴山古墳と宝塔山古墳も見学しますが、すばらしい石室にびっくり仰天でした。
▼用水沿いの道を進んで用水を渡ると総社(そうじゃ)資料館。
▼入り口に素敵な絵地図がありました。
▼資料館は本間酒店の酒蔵を利用して整備した施設です。
▼松尾芭蕉の歌碑。今日ばかり人も年寄れ初時雨
▼左が西倉、右が北蔵。
▼西倉には総社地区の古い民具が展示されています。
▼北蔵。立派な酒蔵です。
▼その東側にも立派な母屋が。
▼雨がすっかりあがったので、外でお弁当です。
▼北蔵の内部を見学します。
▼すごい梁です。
▼二階もあります。
▼昔ながらの酒造りの工程を書いた絵が展示されていました。
▼正面の大きな展示物は
▼地形がわかる立体地図です。これはすごい!
▼上野国府の市想像図
▼地図の展示物
▼市内の古墳についての展示物
▼これから見学する宝塔山古墳の石棺のレプリカが展示してありました。レプリカで見るとあんまりピンときませんが、現地で見ると・・・。
▼埴輪のレプリカ
▼刀剣
▼石製の鴟尾(しび)のレプリカ
▼山王廃寺イメージ
▼古地図資料
▼伝承芸能~太太神楽
▼獅子舞
▼百万遍念仏
▼太太神楽
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~2.山王廃寺跡 [トピックス旅]
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
上野(かみつけ)国分僧寺を後にして、その真東に位置する尼寺跡がこのあたりだと車中から確認。
畑しかありません。
バスは少し北へ向かい、山王廃寺跡近くに到着。
文化遺産オンラインの地図をご参照ください:
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=216019
前橋市教育委員会のパンフレットより
-------
国指定史跡・山王廃寺跡は住宅地の中にあります。
住宅地といっても、周辺は古くからの養蚕農家の大きなお屋敷がたちならび、これまたりっぱな防風林が続いています。
▼バスを降りると、道路沿いにこんな木造建物が。窓から妖怪?みたいなものがのぞいています。思わずパチリ。
▼地元の偉人・都丸高親翁の碑
▼立派な養蚕農家のお屋敷が続いています。表札はどれもぜんぶ「都丸」。「みやこまる」と読むのだそうです。
▼養蚕農家の防風林。家ごとにさまざまな形の防風林が続き、独特の景観を形成しています。
▼大谷石の風情のある建物がありました。左側に「阿久津石材店」の看板があり、右側の大谷石の建物はたばこやさん。
▼その向かい側が日枝(山王)神社。とても狭い神社ですが、この境内に「山王廃寺」の塔心礎があります。
山王廃寺は飛鳥時代(白鳳時代)の寺の跡。
その五重塔の礎石が日枝神社の境内から発見されたのが大正時代のはじめ。
神社の守護神「山王権現」の名前を取って山王廃寺と呼ばれているけtれど、寺の本当の名前が「山王寺」だったわけではなく、本当の名前は出土物などから「放光寺」だったそうです。
六角形の覆いの中をのぞくと・・
▼これが五重塔の心礎。仏舎利を納める穴があります。非常に精巧な加工で、古代のこの地が高度な石加工文化をもっていたことがうかがい知れます。
それは、このあとに見学した古墳群を見た時に実感しました。
▼こちらには、出土した根巻石と石製鴟尾(しび)が展示されています。
▼根巻石
▼石製鴟尾
▼日枝神社の社殿
▼日枝神社の縁起
▼山王廃寺の伽藍図の看板がありましたが、これは内容が古いそうで・・・。
▼最近の発掘調査で確認された最新のもの。
山王廃寺の伽藍配置は、回廊の内部に右に塔、左に金堂を配置ししたもの。奈良斑鳩の法隆寺式の左右が逆になった配置で、斑鳩の法起寺と同じ。年代的には、七世紀の後半だそう。
全国に国分寺がつくられるより以前、法隆寺とあまり変わらない時代、東日本最大の本格的寺院がここ前橋にあったのです。
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
上野(かみつけ)国分僧寺を後にして、その真東に位置する尼寺跡がこのあたりだと車中から確認。
畑しかありません。
バスは少し北へ向かい、山王廃寺跡近くに到着。
文化遺産オンラインの地図をご参照ください:
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=216019
前橋市教育委員会のパンフレットより
-------
国指定史跡・山王廃寺跡は住宅地の中にあります。
住宅地といっても、周辺は古くからの養蚕農家の大きなお屋敷がたちならび、これまたりっぱな防風林が続いています。
▼バスを降りると、道路沿いにこんな木造建物が。窓から妖怪?みたいなものがのぞいています。思わずパチリ。
▼地元の偉人・都丸高親翁の碑
▼立派な養蚕農家のお屋敷が続いています。表札はどれもぜんぶ「都丸」。「みやこまる」と読むのだそうです。
▼養蚕農家の防風林。家ごとにさまざまな形の防風林が続き、独特の景観を形成しています。
▼大谷石の風情のある建物がありました。左側に「阿久津石材店」の看板があり、右側の大谷石の建物はたばこやさん。
▼その向かい側が日枝(山王)神社。とても狭い神社ですが、この境内に「山王廃寺」の塔心礎があります。
山王廃寺は飛鳥時代(白鳳時代)の寺の跡。
その五重塔の礎石が日枝神社の境内から発見されたのが大正時代のはじめ。
神社の守護神「山王権現」の名前を取って山王廃寺と呼ばれているけtれど、寺の本当の名前が「山王寺」だったわけではなく、本当の名前は出土物などから「放光寺」だったそうです。
六角形の覆いの中をのぞくと・・
▼これが五重塔の心礎。仏舎利を納める穴があります。非常に精巧な加工で、古代のこの地が高度な石加工文化をもっていたことがうかがい知れます。
それは、このあとに見学した古墳群を見た時に実感しました。
▼こちらには、出土した根巻石と石製鴟尾(しび)が展示されています。
▼根巻石
▼石製鴟尾
▼日枝神社の社殿
▼日枝神社の縁起
▼山王廃寺の伽藍図の看板がありましたが、これは内容が古いそうで・・・。
▼最近の発掘調査で確認された最新のもの。
山王廃寺の伽藍配置は、回廊の内部に右に塔、左に金堂を配置ししたもの。奈良斑鳩の法隆寺式の左右が逆になった配置で、斑鳩の法起寺と同じ。年代的には、七世紀の後半だそう。
全国に国分寺がつくられるより以前、法隆寺とあまり変わらない時代、東日本最大の本格的寺院がここ前橋にあったのです。
<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~1.上野国分寺跡 [トピックス旅]
私が所属している「国分寺・名水と歴史的景観を守る会」の「諸国国分寺めぐり」第四弾に参加しました。
これまで行ったのは、下総国分寺、下野国分寺、上総国分寺。
2010年6月 第1回 下総国分寺と古代の市川を歩く
同行・解説 山路直充さん(市川市立考古博物館学芸員、明治大学兼任講師)
2010年12月 第2回 下野国分寺・国庁跡と古代の下野を歩く
同行・解説 酒寄雅志さん(国学院栃木短大教授、栃木県文化財審議会委員)
2011年11月 第3回 上総国分寺・国府跡と上総の古墳を歩く
同行・解説 田所真さん(市原市埋蔵文化財調査センター所長)
今回はいよいよ、古代の関東の中心地へ。
上野国分寺・国府跡と古代のかみつけの里を歩く
同行・解説 高井佳弘さん(群馬県埋蔵文化財調査事業団主任調査研究員)
台風が近づいており、天気予報は雨。
予報どおり、朝8時10分国分寺駅前出発時には雨・・・。
バスは中央道から圏央道を経て関越自動車道を北上。
次第に雲が切れてきて、10時半に前橋に着いたころには、時々、小雨がパラツク程度。
ラッキ-でした。
前橋市には国分寺、国府跡の他、県内最古の古代寺院とされる山王廃寺跡や、見事な石造建築による石室をもつことで全国に知られる宝塔山古墳、蛇穴山古墳のある総社古墳群などがあります。これら古代かみつけの里を、国分寺の瓦や古代寺院の研究で知られる高井先生が同行、解説をして下さいました。
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
写真は300枚ほど撮りましたので、場所ごとに分けてレポ-トいたします。
まずは「上野(かみつけ)国分寺跡」
▼上野国分寺跡南側駐車場から、北へまっすぐに参道がのび、南大門、中門、金堂、講堂など伽藍の中軸線につながります。
▼上野国分寺跡の解説看板
▼上野国分寺跡と周辺遺跡地図
▼上野国分寺の伽藍
▼染谷川にかかる国分寺橋
▼染谷川の北側にも用水路があり、その北岸は急な崖になっています。
▼橋を渡って振り返ると、「国分寺橋」の名は、「こくぶんじばし」ではなく「こくぶのてらはし」となっていました。
▼台地側の崖のきわにも用水。
▼参道がまっすぐ南大門に続いています。
▼上野国分寺館(ガイダンス施設)
▼上野国分寺館(ガイダンス施設)建物のすぐ南側は急な崖になっています。
▼ガイダンス施設の中で、まずは高井佳弘先生のお話と、前橋市が作った解説ビデオ。
▼ガイダンス施設展示物見学
▼七重塔模型
▼上野国分僧寺伽藍模型
▼地形のわかる大地図
▼七重塔図面(推定)
▼ガイダンス施設展示物
▼南大門へ向かいます。
▼築垣の切れ目が南大門跡(筑垣は復元)
▼築垣の説明をする高井先生
▼築垣の素晴らしい版築
▼築垣は南西の角が変形になっています。理由は不明とのこと。
▼築垣の内側から見た南西部の変形
▼七重塔跡を左手に見ながら
▼金堂跡へ向かいます。
▼金堂基壇
▼金堂基壇、中央ピンクの傘をさした人が立っているあたりが金堂の中心であり、伽藍の中心でもある。
▼金堂の礎石
▼七重塔の基壇
▼七重塔解説看板
▼七重塔礎石
▼七重塔心礎
▼北西方向に榛名山が見えます。
▼雲に隠れていますが、北東方向に見えるはずの赤城山の方向を指し示す高井先生。
写真はfacebookでも見られます。
(facebookに登録していない方も見られます。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.202156059907945.40489.100003406584816&type=3&l=19d5288dbc
これまで行ったのは、下総国分寺、下野国分寺、上総国分寺。
2010年6月 第1回 下総国分寺と古代の市川を歩く
同行・解説 山路直充さん(市川市立考古博物館学芸員、明治大学兼任講師)
2010年12月 第2回 下野国分寺・国庁跡と古代の下野を歩く
同行・解説 酒寄雅志さん(国学院栃木短大教授、栃木県文化財審議会委員)
2011年11月 第3回 上総国分寺・国府跡と上総の古墳を歩く
同行・解説 田所真さん(市原市埋蔵文化財調査センター所長)
今回はいよいよ、古代の関東の中心地へ。
上野国分寺・国府跡と古代のかみつけの里を歩く
同行・解説 高井佳弘さん(群馬県埋蔵文化財調査事業団主任調査研究員)
台風が近づいており、天気予報は雨。
予報どおり、朝8時10分国分寺駅前出発時には雨・・・。
バスは中央道から圏央道を経て関越自動車道を北上。
次第に雲が切れてきて、10時半に前橋に着いたころには、時々、小雨がパラツク程度。
ラッキ-でした。
前橋市には国分寺、国府跡の他、県内最古の古代寺院とされる山王廃寺跡や、見事な石造建築による石室をもつことで全国に知られる宝塔山古墳、蛇穴山古墳のある総社古墳群などがあります。これら古代かみつけの里を、国分寺の瓦や古代寺院の研究で知られる高井先生が同行、解説をして下さいました。
コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳
写真は300枚ほど撮りましたので、場所ごとに分けてレポ-トいたします。
まずは「上野(かみつけ)国分寺跡」
▼上野国分寺跡南側駐車場から、北へまっすぐに参道がのび、南大門、中門、金堂、講堂など伽藍の中軸線につながります。
▼上野国分寺跡の解説看板
▼上野国分寺跡と周辺遺跡地図
▼上野国分寺の伽藍
▼染谷川にかかる国分寺橋
▼染谷川の北側にも用水路があり、その北岸は急な崖になっています。
▼橋を渡って振り返ると、「国分寺橋」の名は、「こくぶんじばし」ではなく「こくぶのてらはし」となっていました。
▼台地側の崖のきわにも用水。
▼参道がまっすぐ南大門に続いています。
▼上野国分寺館(ガイダンス施設)
▼上野国分寺館(ガイダンス施設)建物のすぐ南側は急な崖になっています。
▼ガイダンス施設の中で、まずは高井佳弘先生のお話と、前橋市が作った解説ビデオ。
▼ガイダンス施設展示物見学
▼七重塔模型
▼上野国分僧寺伽藍模型
▼地形のわかる大地図
▼七重塔図面(推定)
▼ガイダンス施設展示物
▼南大門へ向かいます。
▼築垣の切れ目が南大門跡(筑垣は復元)
▼築垣の説明をする高井先生
▼築垣の素晴らしい版築
▼築垣は南西の角が変形になっています。理由は不明とのこと。
▼築垣の内側から見た南西部の変形
▼七重塔跡を左手に見ながら
▼金堂跡へ向かいます。
▼金堂基壇
▼金堂基壇、中央ピンクの傘をさした人が立っているあたりが金堂の中心であり、伽藍の中心でもある。
▼金堂の礎石
▼七重塔の基壇
▼七重塔解説看板
▼七重塔礎石
▼七重塔心礎
▼北西方向に榛名山が見えます。
▼雲に隠れていますが、北東方向に見えるはずの赤城山の方向を指し示す高井先生。
写真はfacebookでも見られます。
(facebookに登録していない方も見られます。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.202156059907945.40489.100003406584816&type=3&l=19d5288dbc
田子の浦港の生しらす丼に感激! [トピックス旅]
5//26日曜日、母と夫と三人で、クラブツーリズムのバスツアーに行ってきました。
東名と新東名(4/14開通)を通って焼津まで行き、そこから東海道を通って三島まで戻る道中、初ガツオの刺身とマグロの寿司(焼津)、生シラスのミニ丼、桜エビのかき揚げ(田子の浦)、うな重(三島)が食べられるというツアー。
この他、行きの海老名SA名物のメロンパンもバスの中で配られ、清水で駿河湾のクルーズも。
焼津の初ガツオの刺身とマグロの寿司は、座るところもなくて、マグロもカツオもなんということなくちょっとガッカリでしたが、田子の浦港の漁協食堂の生シラスのミニ丼、桜エビのかき揚げは美味でした。
生シラスってはじめて食べました。水揚げされた漁港ならでは。
ネギと生姜と、ほんの少し醤油をかけていただきました。
これは感激の味でした!
できたら、極ミニではなく、普通のどんぶりで食べたかった!
試食の釜揚げしらすを食べたら、これまたすばらしくおいしかったので、これはお土産に。
三島のうな重。
丼でなくお重。
お重の蓋を開けたら、のっているウナギちゃんは半身。
わ、ちっちゃ。
でも、おいしかったですよ。
東名と新東名(4/14開通)を通って焼津まで行き、そこから東海道を通って三島まで戻る道中、初ガツオの刺身とマグロの寿司(焼津)、生シラスのミニ丼、桜エビのかき揚げ(田子の浦)、うな重(三島)が食べられるというツアー。
この他、行きの海老名SA名物のメロンパンもバスの中で配られ、清水で駿河湾のクルーズも。
焼津の初ガツオの刺身とマグロの寿司は、座るところもなくて、マグロもカツオもなんということなくちょっとガッカリでしたが、田子の浦港の漁協食堂の生シラスのミニ丼、桜エビのかき揚げは美味でした。
生シラスってはじめて食べました。水揚げされた漁港ならでは。
ネギと生姜と、ほんの少し醤油をかけていただきました。
これは感激の味でした!
できたら、極ミニではなく、普通のどんぶりで食べたかった!
試食の釜揚げしらすを食べたら、これまたすばらしくおいしかったので、これはお土産に。
三島のうな重。
丼でなくお重。
お重の蓋を開けたら、のっているウナギちゃんは半身。
わ、ちっちゃ。
でも、おいしかったですよ。