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ヘッダー画像は、私のピアノ周り。
TPPで食の安全と医療は大丈夫なのか?  ★考えてみよう!TPPのことhttp://www.think-tpp.jp/index.html
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大飯原発再稼働は許さない [震災・原発・復興支援]

大飯原発再稼働が決まってしまった。

政府は安全だと断言したが、​安全対策は始ってすらいない。そもそも、原発に安全対策は存在し​ない。
”安全神話”への逆戻りだと言われるが、神話にだって、そのスト​ーリーが生まれるためには何がしかの事実の裏付けがある。
政府の安全宣言は、「安全だ」と言葉にするだけで安全だと信じて​しまう、これは”神話”ですらない、”言霊信仰”だ。
まさにカルトではないか。

6/16の官邸前抗議行動には行けなかったが、一人ひとりが何らかの形で、直接、意思を表明すべき時だ。
もう、知らなかったでは済まされない。


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<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~4.宝塔山古墳(総社古墳群) [トピックス旅]

コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳

前橋市教育委員会のパンフレットより
00かみつけ遺跡地図.jpg

▼総社資料館をあとにして、徒歩で総社公民館の駐車場に戻り、宝塔山古墳へ。
駐車場から見える、このこんもりした小山が宝塔山古墳です。
一辺が50~60mくらい、高さ12m前後の方墳、作られたのは7世紀後半。国指定史跡だそうです。

01宝塔山古墳.JPG

▼北側の石段を昇りましたが、墳丘の上部は総社藩主秋元氏の墓地として江戸時代から利用されてきたとかで、こちらからは石室のほうへは行けません。
02宝塔山古墳北側から.JPG

▼南側へまわるようにと看板に書いてありました。
03宝塔山古墳説明看板.JPG

▼南側にまわって石段をあがると、とつぜん、むき出しの石室の入り口が。天井部分の一枚の石の大きさに唖然。中に自由に入れるようです。
04宝塔山古墳説明石碑.JPG

05宝塔山古墳入り口.JPG

06宝塔山古墳.JPG

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▼入り口の両側の石積みからして素晴らしく緻密。隙間なく緻密な上に、デザインとしても美しい!
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09宝塔山古墳外部石積み.JPG

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▼入り口の前には、天井の石と同じような平たい巨石が地面に横たわっています。
11宝塔山古墳入り口の蓋か.JPG

▼中へ入ってみました。長方形の切石が隙間なくピシっと組まれています。
12宝塔山古墳内部.JPG

13宝塔山古墳内部石積み.JPG

▼天井は一枚の石です。
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▼奥は深くて、三つの部屋にわかれているようです。入り口から二番目の部屋には、白い漆喰が残っているのが確認できました。千三百五十年も前の漆喰です。
15宝塔山古墳漆喰の痕跡.JPG

16宝塔山古墳漆喰の痕跡.JPG

▼この奥にもうひとつ部屋があり、中は真っ暗。そこに石棺がすえられています。懐中電灯の光でかろうじて見えます。
17宝塔山古墳石棺.JPG

18宝塔山古墳石棺.JPG

19宝塔山古墳石棺.JPG

20宝塔山古墳石棺.JPG

21宝塔山古墳石棺.JPG

▼石室の奥から入り口を見るとこんなかんじ。まさにタイムトンネルです!
22宝塔山古墳内部石積み.JPG

▼みな、古代の切石積みの美しさにみとれながら、現代へと戻って行きました。
23宝塔山古墳内部石積み.JPG

24宝塔山古墳内部石積み.JPG

25宝塔山古墳内部石積み.JPG

26宝塔山古墳内部石積み.JPG

27宝塔山古墳内部石積み.JPG

28宝塔山古墳内部石積み.JPG

















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<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~3.総社資料館 [トピックス旅]

コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳

前橋市教育委員会のパンフレットより
00かみつけ遺跡地図.jpg

▼総社公民館の駐車場でバスを降りると、見える範囲に二つのこんもりした小山が。
これが蛇穴山(じゃけつやま)古墳。
01総社公民館駐車場から蛇穴山古墳.JPG

▼そしてこちらが、宝塔山(ほうとうざん)古墳。
02宝塔山古墳.JPG

先に総社資料館で昼食をとって、そのあとで蛇穴山古墳と宝塔山古墳も見学しますが、すばらしい石室にびっくり仰天でした。

▼用水沿いの道を進んで用水を渡ると総社(そうじゃ)資料館。
03用水.JPG

04総社資料館.JPG

▼入り口に素敵な絵地図がありました。
05総社資料館入り口の絵地図.JPG

▼資料館は本間酒店の酒蔵を利用して整備した施設です。
06資料館は酒蔵の建物.JPG

▼松尾芭蕉の歌碑。今日ばかり人も年寄れ初時雨
07芭蕉の歌碑 今日ばかり人も年寄れ初時雨.JPG

▼左が西倉、右が北蔵。
08西倉と北蔵.JPG

▼西倉には総社地区の古い民具が展示されています。
09西倉には民具の展示.JPG

▼北蔵。立派な酒蔵です。
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▼その東側にも立派な母屋が。
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▼雨がすっかりあがったので、外でお弁当です。
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▼北蔵の内部を見学します。
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14北蔵の中から庭を見る.JPG

▼すごい梁です。
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▼二階もあります。
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▼昔ながらの酒造りの工程を書いた絵が展示されていました。
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▼正面の大きな展示物は
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▼地形がわかる立体地図です。これはすごい!
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▼上野国府の市想像図
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▼地図の展示物
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▼市内の古墳についての展示物
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26展示物(市内の古墳について).JPG

27展示物(市内の古墳について).JPG

28展示物(市内の古墳について).JPG

▼これから見学する宝塔山古墳の石棺のレプリカが展示してありました。レプリカで見るとあんまりピンときませんが、現地で見ると・・・。
29宝塔山古墳の石棺レプリカ.JPG

▼埴輪のレプリカ
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▼刀剣
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▼石製の鴟尾(しび)のレプリカ
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▼山王廃寺イメージ
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▼古地図資料
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▼伝承芸能~太太神楽
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▼獅子舞
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▼百万遍念仏
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▼太太神楽
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混声合唱団「青春隊」の新曲は「慕情(Love Is A Many-Splendored Thing )」と「赤いハンカチ」(石原裕次郎) [スタディ洋楽・邦楽アラカルト]

昨夜は、混声合唱団「青春隊」の練習日。
6/3の音楽連盟初夏のコンサート後の初練習でした。

9月までコンサート出演予定がないので、新曲の練習がはじまりました。

曲は:
「慕情(Love Is A Many-Splendored Thing )」
「赤いハンカチ」(石原裕次郎)

はじめて譜面が渡され、みな初見でしたが、少しずつ歌っていくと、「赤いハンカチ」のほうはとりあえず最後まで歌えるようになりました。
「慕情」のほうは歌詞が英語で、アレンジもちょっと複雑なので、少し時間がかかりそう。

参考のために、You Tubeで調べてみました。下に映画のあらすじも。
裕次郎映画、団塊の世代くらいから上の人にとってはなつかしいでしょうね。
私は少し後の世代なので、「赤いハンカチ」(昭和39年だとか)はリアルタイムではほとんど記憶がないし、歌ったこともありません。

「慕情」のほうは、名曲中の名曲。
しかし、昔ジャズを歌っていた時代にもこれは歌ったことがなく、今回がはじめてです。
You Tubeから、フランク・シナトラ、アンディ・ウイリアムズ、ナット・キング・コールの歌を載せてみました。
どれも素敵ですが、私はナット・キング・コールの噛み殺したような歌い方、好きです。

Frank Sinatra - Love Is A Many-Splendored Thing (Reprise[レジスタードトレードマーク] Recordings 1964)


Andy Williams - Love is a many splendored (NOT PERFORMANCE)


Nat King Cole - Love Is A Many Splendored Thing (Original Stereo)


慕情 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%95%E6%83%85

慕情(1955) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/p8377/index.html
<映画のあらすじ>
中国人とイギリス人のハーフで女医のハン・スーイン(ジェニフ ァー・ジョーンズ)は、国民政府の将軍の夫人だったが、良人が共産軍との戦いで戦死してからは、香港病院で働いていた。ある日、病院の理事長の家でカクテル・パーティが開かれたとき、彼女はアメリカの従軍記者マーク・エリオット(ウィリアム・ホールデン)と知り合った。マークにはシンガポールに妻がいるが、性格が合わないとでもいうのであろうか、夫婦仲は冷たかった。初めはスーインもマークと深入りしないように警戒していたが、何となく彼が好ましく、マークが仕事のためシンガポールに出かけたときなど、いい知れない淋しさに襲われるのだった。やがて、海へ遊びに行ってから、2人は完全な恋人同志になっていた。マークは妻と正式に離婚して、スーインと結婚すると誓った。だが彼の妻は離婚に同意しなかった。スーインはそれを聞いて、マークを優しくいたわるのだった。その後、マークがマカオに出張すると、スーインは理事長の反対を押しきってマカオに向かった。2人の楽しい週末もほんのひとときに過ぎない。朝鮮に戦争が起こったためマークは現地へ急行しなければならなかったからである。スーインは理事長にさからってマカオに行ったことから、病院に勤めることができなくなり、友達のノラの家に寄寓することになった。彼女は毎日マークに手紙を書き、また彼からの便りを読んで淋しさをまぎらしていたが、ある日マークは共産軍の爆撃で帰らぬ人となった。新聞でそれを知ったスーインは、マークと共に永遠の愛を語り合った思い出の町を歩いたが、再び病院に戻り医術に全生涯を捧げようと決心するのだった。


赤いハンカチ 石原裕次郎



http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD4337/story.html

<解説>
『遊侠無頼』の小川英、山崎巌と『狼の王子』を監督した舛田利雄が共同でオリジナル・シナリオを執筆、舛田利雄が監督した歌謡ドラマ。撮影もコンビの間宮義雄。(キネマ旬報 全映画作品データベースより抜粋)
解説 - 赤いハンカチ
「遊侠無頼」の小川英、山崎巌と「狼の王子」を監督した舛田利雄が共同でオリジナル・シナリオを執筆、舛田利雄が監督した歌謡ドラマ。撮影もコンビの間宮義雄。

<あらすじ>
三上、石塚の両刑事は、兇悪な麻薬ルートを追っていた。容疑者一味の内、唯一人の生存者である屋台の親爺、平岡が現場で犯人に接したことから、平岡は警察にひかれた。が三上らの峻烈な調べに対しても口を開こうとしなかった。護送中ににげようとした平岡と激突した三上らは、誤って拳銃を平岡の胸に発射した。過失とはいえ世論は三上らにきびしかった。それから三年、三上は北海道のダム工場で働いていた。一方神奈川県警の土屋警部補の訪問を受けた三上は、石塚が平岡の遺児玲子と結婚し、今は大実業家になっていると知らされた。そしてその裏には三年前のあの事件がからまっているというのだ。決心した三上はその謎を解くため、再び横浜に帰って来た。ハマでからまれた三上は、傷を負って病院に入った。一方玲子は、三年前見た三上の面影が忘れられず、石塚の愛をうけながらも、父の死の原因は石塚にあると思いつづけていた。ある施設で三上と再会した石塚は、仕事を手伝ってくれと約したが、三上の拒絶にあうと、翌日から三上の上に危険が襲って来た。“赤いハンカチ”の歌を歌いながら流していた三上は、三上の命を狙う殺し屋に瀕死の重傷を負わせた。警察は三上を指名手配した。石塚の残酷さに恐怖を感じる玲子を追うように石塚は三上を必ず殺すよう命じたが、その後に、今こそ全てを知った三上の姿があった。しかし平岡謀殺の証拠はない。が、みぬいた三上は「麻薬ルートと結託し完全犯罪を企てたんだ、だが証拠がない以上法では裁けない。そのかわりこの拳銃で裁いてやる」と石塚に銃をむけた。とその時三上を愛する玲子がいちはやく石塚に発砲した。「玲子を幸せにしてくれ」と三上に頼みながら息をひきとる石塚に、かつての同僚は温かった。


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国分寺チェンバークワイア(合唱団)公演 バッハの四季XIV「メンデルスゾーンとバッハの午後」 [各種お知らせ&レポート]

今週末(6/17)にいずみホールで開催される国分寺チェンバークワイア公演、バッハの四季XIV「メンデルスゾーンとバッハの午後」のご案内です。
なんと入場無料!フ工リックス・メンデルスゾーン・バルトルデイ基金日本支部の後援がついているからかしら??

ルネサンス・バロック期の音楽を主なレパートリーとし、少人数のすばらしいアカペラの響きを聞かせてくれる合唱団です。

一昨年、私の篠笛でコラボさせていただいて以来のおつきあいです。
独唱の熊谷 晃(バス)さんは、チェンバークワイアのメンバーでもあり、合唱団「青春隊」「グリーンハーモニー」などの合唱指導と指揮を行っていらっしゃり、先日(6/3)の国分寺市音楽連盟初夏のコンサートでは、篠笛で共演させていただきました。(日本歌曲「ふるみち」「ふるさとの」と日本民謡「南部牛追い唄」、好評でした!)

チェンバークワイア公演 バッハの四季XIVチラシ表.jpg

チェンバークワイア公演 バッハの四季XIVちらし裏.jpg

■日時 会場
2012年6月17日(日) 14:00開演 入場無料
国分寺市立いずみホール (JR西国分寺駅下車南口徒歩1分)

■曲目:
メンデルスゾーン
3つの詩篇op.78
Drei Psalmen

3つの民謡op.41
手に手をとりあい
霜がおりて
その墓の上で

「緑のなかで」よりop.59
1m Grdnen
〝狩り歌〝Jagdlied

J.S.バッハ
コンチェルト
カンタータBWV142より

ミサ曲ト長調BWV236
Missain G・Dur

独 唱:細川裕介(テノール)
熊谷 晃(バス)
合 唱:国分寺チェンバークワイア
管弦楽:AZBAND
指 樟:市瀬寿子

主催:国分寺チェンバークワイア http://kokubunjichamber.blog33.fc2.com/
後援:フ工リックス・メンデルスゾーン・バルトルデイ基金日本支部、国分寺市音楽連盟

■プロフィール
【国分寺チェンバークワイア】
1991年創立。ルネサンス・バロック期の苦楽を主なレパートリーとし、少人数で「命あふれるア・カペラの響き」を
追求して研礫を積んでいる。1996年ドイツ、2004年イタリア演奏旅行にて、ベルリン、ライプチヒ、ローマ、パル
マ等の各都市で演奏。2000年「ロ短調ミサ」、2001年「メサイア」(指揮:クリスチャン・カーニン氏)、2003年「ヨ
ハネ受難曲」、2005年「ダイドーとエネアス」(指揮:C・カーニン氏)をいずれも紀尾井ホールにて開催。2006年
12月国際基督教大学の招聴により、同大学チャペルクリスマスコンサートに出演。プログラムの多彩さと質の高い演奏で絶賛を博す。2007年より久保田慶一氏(国立音楽大学教授)を講師に迎え、レクチャーコンサート「バッハ一族の遺産」「清新なる喜びJ.Sバッハ初期カンタータ」「父から子へ」を三年間に亘り、東京学芸大学芸術館にて開催。国分寺市に於ては、毎年夏、平和祈念行事に出演。その他にも本多公民館クリスマスロビーコンサート、第四小学校にピアノを贈るチャリティーコンサート、東日本大震災復興チャリティーコンサート等、国分寺市苦楽連盟の各合唱団の協力のもと開催し、多彩な演奏活動を続けている。
ソプラノ  市村香枝、生 美子、高橋明美、高橋純子、玉木千里、津吹陽子、富田桂子、成井木綿子
アルト  入江早由美、菅本高代、中重久子、細失 意、森迫邦江、矢形純子
テノール  雨宮史朗、亀井一男、佐々木恭之助、門司常宏
バ  ス  阿部利興、井掘和明、遠藤道美、久保田滋人、熊谷 晃、駒井義明、富山和照、細川 清

【AZ BAND】
1995年より、コンサート活動を開始したSEXTETが前進。1997年8月、北甲斐苦楽祭に出演し、グループ名をAZ
BANDに変える。メンバーはそれぞれ別の仕事を持つユニークなバンドで、古楽アンサンブルとしてレパートリーを増やし、いろいろな場所へ出張演奏を試みている。中核メンバーの尾崎登久子さん(チェンバロ)が2009年4月に逝去。
分解の危機に瀕するも、立ち直った。
リコーダー   雇野 豊、中村正子
オーボエ
ヴァイオリン
ヴィオラ
ファゴット
チェロ
コントラバス
オルガン
石野典嗣、新井美生
小穴晶子、山室那那子、及川 渓、若尾紀子
谷口 勤
中澤未帆
大軒由敬
大久保元博
長畑俊道
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山うど&採れたてニンニク、いただきました。 [日記(2012.2~)]

昨夜、OH!ジーンズの練習で、三味線・沼下さんから山うどとニンニクをいただきました。

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山ウドは、日曜日に長野で採ってきたとのこと。
八百屋で「山うど」と称して売っているものよりも、ずっとワイルドな香りです。
私は、皮と葉のキンピラが大好き。
中身のほうは、酢味噌で食べるか、ウルイなんかと一緒にヨーグルト入りのマヨネーズで和えてもおいしい。

ニンニクのほうは沼下さんとの畑で収穫。
まだ乾燥させていない生のニンニクをいただいたのははじめて!香りたかいです!

生にんにくは、このままスライスして食べるのがおいしいのだとか。とりあえず今日、一個料理して、残りは保存かな?
吊るして乾燥させるのかな?醤油漬けとかオイル漬けとか、どうやるんだろう?

とりあえず、生にんにくのおいしい食べ方をご存じのかた、教えてください~い!






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<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~2.山王廃寺跡 [トピックス旅]

コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳

上野(かみつけ)国分僧寺を後にして、その真東に位置する尼寺跡がこのあたりだと車中から確認。
畑しかありません。
バスは少し北へ向かい、山王廃寺跡近くに到着。

文化遺産オンラインの地図をご参照ください:
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=216019

前橋市教育委員会のパンフレットより
00かみつけ遺跡地図.jpg

-------
国指定史跡・山王廃寺跡は住宅地の中にあります。
住宅地といっても、周辺は古くからの養蚕農家の大きなお屋敷がたちならび、これまたりっぱな防風林が続いています。

▼バスを降りると、道路沿いにこんな木造建物が。窓から妖怪?みたいなものがのぞいています。思わずパチリ。
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▼地元の偉人・都丸高親翁の碑
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▼立派な養蚕農家のお屋敷が続いています。表札はどれもぜんぶ「都丸」。「みやこまる」と読むのだそうです。
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▼養蚕農家の防風林。家ごとにさまざまな形の防風林が続き、独特の景観を形成しています。
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▼大谷石の風情のある建物がありました。左側に「阿久津石材店」の看板があり、右側の大谷石の建物はたばこやさん。
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15大谷石の建物 阿久津石材店.JPG

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▼その向かい側が日枝(山王)神社。とても狭い神社ですが、この境内に「山王廃寺」の塔心礎があります。
山王廃寺は飛鳥時代(白鳳時代)の寺の跡。
その五重塔の礎石が日枝神社の境内から発見されたのが大正時代のはじめ。
神社の守護神「山王権現」の名前を取って山王廃寺と呼ばれているけtれど、寺の本当の名前が「山王寺」だったわけではなく、本当の名前は出土物などから「放光寺」だったそうです。
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六角形の覆いの中をのぞくと・・
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▼これが五重塔の心礎。仏舎利を納める穴があります。非常に精巧な加工で、古代のこの地が高度な石加工文化をもっていたことがうかがい知れます。
それは、このあとに見学した古墳群を見た時に実感しました。
21塔心礎.JPG

▼こちらには、出土した根巻石と石製鴟尾(しび)が展示されています。
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▼根巻石
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▼石製鴟尾
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▼日枝神社の社殿
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▼日枝神社の縁起
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▼山王廃寺の伽藍図の看板がありましたが、これは内容が古いそうで・・・。
29山王廃寺伽藍図の看板.JPG

▼最近の発掘調査で確認された最新のもの。
30山王廃寺の最新の伽藍図.jpg

山王廃寺の伽藍配置は、回廊の内部に右に塔、左に金堂を配置ししたもの。奈良斑鳩の法隆寺式の左右が逆になった配置で、斑鳩の法起寺と同じ。年代的には、七世紀の後半だそう。
全国に国分寺がつくられるより以前、法隆寺とあまり変わらない時代、東日本最大の本格的寺院がここ前橋にあったのです。


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ランチ時の不思議な居酒屋 [日記(2012.2~)]

国分寺南口駅前の某ビル4階の某居酒屋チェーン店。
昼間もやっているので、ちょうどお昼の12時ごろ、刺身ののっている丼を食べに入ったところ、店員の行動に不思議なところがいっぱい。

まず、コップにいれた水がきた。これは普通。でもオシボリがない。前にはたしかあったのだけど。
それでも、食べ終わるところまでは、まあまあ普通だった。

食べ終わった食器や割り箸をさげたあと、また店員がやってきて、「お箸をご利用ですか」といって、割り箸を私の前に置いた。

????

「食べ終わったのだからいらないでしょ?」と言うと、「失礼しました」と言って、割り箸を持って帰った。

????

いつもってきたかわすれたけど、途中でお茶も持ってきた。
これが一口飲むと、腐っているかと思うほどまずいので一口でやめた。

食べ終わって30分ほど、広い広い客席には、ずっと私ひとりしかいない。
仕切りがあって、別のエリアにはもう一組くらい客がいるような声がしていたけど、巨大な店内に客はほんの2~3組。
日曜日とはいえども、お昼時。場所は駅のまん前の一等地なのになあ。

超ガラすきでもあることなので、食後、私はipadで少し調べ物を。
入店してから30分ほどたったころ、また店員がやってきた。
「お冷をおさげします」といって、水のコップを持ち去った。

???

「お冷をおとりかえします」でも、「おつぎします」でもなく、「おさげします」といって持ち去ってしまった。
あとには、超まずい腐ったみたいな味のお茶だけが残された。

変だこの店!

と思ったので、帰ることにしたが、どこをさがしても伝票がない。
となりのテーブルには、伝票をはさむためのプラスチックの板がテーブルの下にあったが、私のテーブルはその板がなくなっている。
注文した時にもっていったきりになっているようなので、ブザーで店員をよび、「伝票はどこにあるの?」と聞くと、その店員。というか板前の格好をしていたが。
元ヤンキーかと思うような、顎を上げるしぐさをしながら、「伝票なんてありませんよ」とツケツケと答えた。目つきも態度も挑戦的だ。

「伝票なくてもわかるの?」と聞くと、店員は「わかりますよ」といい、レジのほうに先にたって歩いた。
板前の格好をしているけれど、こいつがレジを打つ気らしい。

その板前らしき店員は、レジを打ちながら、こちらが聞きもしないのに、「ここはファミレスとかじゃなくて居酒屋だから伝票はない。どこに座っていたかわかればレジは打てる」と言い放つ。
「へえ、どこにいたかわかるの?」と聞くと、「この時間ならわかりますよ」と答えた。

この時間じゃなきゃ、どうなんだい?

たしかに、紙の伝票を使わずに、席番号が書かれたプラスチックのカードをレジに持っていってお勘定する店もある。
でも、その番号カードもないのだ。
というか、私が注文した時に持っていったのだろう。それを戻していない。

その手のカード(座席番号札)、お客が「来ていない」といえば、「すみません」と持ってくるか、「こちらにございます」と言ってレジに誘導するのが普通だ。
そうしていればこちらはアヤシマないのになあ。
それをこの店の店員は、そんなものはないと、挑発的な態度で言い放った。

そういえば一度、夜に十数人で来た時、会計が異常に高かったことがあったっけな。
あれま、こんなに飲み食いしたのかねとその時は思ったけど、今日みたいなことがあると、やっぱりあの勘定、変だったのかもね。

今日のお昼の勘定は注文したとおりだったけど。
伝票もない、番号札も存在しないっておかしいよね。
レジを一度打っても取り消しすれば、売り上げ自体がなかったことにできる?

かどうかはしらないけど。

あ~やなかんじ。

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「ESSA-Hoiのテーマ」You Tubeにアップ!(@みんなちがってみんないい2012.6.3) [動画倉庫(Essa-Hoi)]

6/3八王子浅川河川敷のお祭り「みんなちがってみんないい2012」の時のESSA-Hoi(エスニック・キッチンとROSSAの合体バンド)の動画がYou Tubeにアップされました。

オープニング曲「ESSA-Hoiのテーマ」です。
どろどろヒュ~からキツネも出てきて・・・。
キツネのお面をつけた舞いはダンサーのSOKOさん。



http://youtu.be/XX2yFtoB3ww
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<バス旅行>上野国分寺・国府跡と古代かみつけの里を歩く~1.上野国分寺跡 [トピックス旅]

私が所属している「国分寺・名水と歴史的景観を守る会」の「諸国国分寺めぐり」第四弾に参加しました。

これまで行ったのは、下総国分寺、下野国分寺、上総国分寺。

2010年6月 第1回 下総国分寺と古代の市川を歩く
同行・解説 山路直充さん(市川市立考古博物館学芸員、明治大学兼任講師)
2010年12月 第2回 下野国分寺・国庁跡と古代の下野を歩く
同行・解説 酒寄雅志さん(国学院栃木短大教授、栃木県文化財審議会委員)
2011年11月 第3回 上総国分寺・国府跡と上総の古墳を歩く
同行・解説 田所真さん(市原市埋蔵文化財調査センター所長)

今回はいよいよ、古代の関東の中心地へ。
上野国分寺・国府跡と古代のかみつけの里を歩く
同行・解説 高井佳弘さん(群馬県埋蔵文化財調査事業団主任調査研究員)

台風が近づいており、天気予報は雨。
予報どおり、朝8時10分国分寺駅前出発時には雨・・・。

バスは中央道から圏央道を経て関越自動車道を北上。
次第に雲が切れてきて、10時半に前橋に着いたころには、時々、小雨がパラツク程度。
ラッキ-でした。

前橋市には国分寺、国府跡の他、県内最古の古代寺院とされる山王廃寺跡や、見事な石造建築による石室をもつことで全国に知られる宝塔山古墳、蛇穴山古墳のある総社古墳群などがあります。これら古代かみつけの里を、国分寺の瓦や古代寺院の研究で知られる高井先生が同行、解説をして下さいました。

コース
①上野国分僧寺跡・ガイダンス施設上野国分寺館―尼寺跡(車中から場所のみ確認)→②山王廃寺跡→③総社資料館(昼食)→④宝塔山古墳(石室見学)→⑤蛇穴山古墳(石室見学)→⑥かみつけの里博物館→⑦八幡塚古墳

写真は300枚ほど撮りましたので、場所ごとに分けてレポ-トいたします。
まずは「上野(かみつけ)国分寺跡」

▼上野国分寺跡南側駐車場から、北へまっすぐに参道がのび、南大門、中門、金堂、講堂など伽藍の中軸線につながります。
01上野国分寺跡南側駐車場から.JPG

▼上野国分寺跡の解説看板
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▼上野国分寺跡と周辺遺跡地図
04-02解説看板.JPG

▼上野国分寺の伽藍
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▼染谷川にかかる国分寺橋
06染谷川にかかる国分寺橋.JPG

07染谷川下流側(橋の東側).JPG

08染谷川上流側(橋の西側).JPG

09染谷川上流側(橋の西側).JPG

▼染谷川の北側にも用水路があり、その北岸は急な崖になっています。
10染谷川の北側にも用水路が.JPG

▼橋を渡って振り返ると、「国分寺橋」の名は、「こくぶんじばし」ではなく「こくぶのてらはし」となっていました。
11橋の北詰からふりかえると「こくぶのてらはし」.JPG

▼台地側の崖のきわにも用水。
12台地側の崖のきわにも用水.JPG

▼参道がまっすぐ南大門に続いています。
13参道がまっすぐ南大門に続く.JPG

▼上野国分寺館(ガイダンス施設)
14-01上野国分寺館(ガイダンス施設).JPG

▼上野国分寺館(ガイダンス施設)建物のすぐ南側は急な崖になっています。
14-02施設建物のすぐ南側の崖.JPG

▼ガイダンス施設の中で、まずは高井佳弘先生のお話と、前橋市が作った解説ビデオ。
15高井佳弘先生(群馬県埋蔵文化財調査事業団上席調査研究員).JPG

16ガイダンス施設上野国分寺館にてお話とビデオ.JPG

▼ガイダンス施設展示物見学
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18ガイダンス施設展示物.JPG

▼七重塔模型
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▼上野国分僧寺伽藍模型
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▼地形のわかる大地図
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22地形のわかる大地図.JPG

23地形のわかる大地図.JPG

24七重塔の説明.JPG

▼七重塔図面(推定)
25七重塔図面(推定).JPG

▼ガイダンス施設展示物
26ガイダンス施設展示物.JPG

27ガイダンス施設展示物.JPG

28ガイダンス施設展示物.JPG

29ガイダンス施設展示物.JPG

30ガイダンス施設展示物.JPG

31ガイダンス施設展示物.JPG

32ガイダンス施設展示物.JPG

33ガイダンス施設展示物.JPG

34ガイダンス施設展示物.JPG

▼南大門へ向かいます。
35南大門へ向かう.JPG

▼築垣の切れ目が南大門跡(筑垣は復元)
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▼築垣の説明をする高井先生
37築垣の説明をする高井先生.JPG

▼築垣の素晴らしい版築
38築垣の版築.JPG

▼築垣は南西の角が変形になっています。理由は不明とのこと。
39築垣は南西の角が変形になっている.JPG

▼築垣の内側から見た南西部の変形
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▼七重塔跡を左手に見ながら
41七重塔跡を左手に見て.JPG

▼金堂跡へ向かいます。
42金堂跡へ向かう.JPG

▼金堂基壇
43金堂基壇.JPG

▼金堂基壇、中央ピンクの傘をさした人が立っているあたりが金堂の中心であり、伽藍の中心でもある。
44金堂基壇、中央ピンクの傘の人あたりが中心。.JPG

▼金堂の礎石
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46築垣の.JPG

▼七重塔の基壇
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▼七重塔解説看板
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49七重塔解説.JPG

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▼七重塔礎石
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▼七重塔心礎
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▼北西方向に榛名山が見えます。
53北西方向に榛名山を望む.JPG

▼雲に隠れていますが、北東方向に見えるはずの赤城山の方向を指し示す高井先生。
54北東方向の赤城山が見えるあたりを指差す高井先生.JPG


写真はfacebookでも見られます。
(facebookに登録していない方も見られます。
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